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昭和28年に那賀川長安口ダム建設での道路付替え工事で岩盤を切り取った際に発見された石灰洞。その以降が数十回に渡って内部の測量や生物の棲息調査を行われる。希少な新種の生物が発見されたが観光洞にみられる美しい鍾乳石群の世界は殆どなく、狭くアップダウンが多く、落盤の危険箇所もあって観光化には至らなかった。昭和40年8月以降の学術調査を契機に「徳島県の洞窟動物相」著者の木内盛郷氏・吉田正隆氏が平面図を作成された。 |
@高さ1m、幅1.2mの洞口に入り10〜30°の傾斜を降りると地下1階(ロビー)に着く。右側はA深さ11mの縦穴(落とし井戸)があるので要注意。井戸の底は水が溜まっているが、冬季や渇水時でダム湖の水位が下がると井戸の水位も下がり空井戸になる時もある。その時は図には記載がない地下3階の最下層の支洞入口がある。 主洞は長さ40mのBCD部で行き止まり、Cから分岐する支洞に入り、Eの間の斜面を登ると主洞上部8mの開口部に連なる支洞などある。Eに入らずに進んだ支洞Fは紆余曲折して主洞近くに戻ったり、縦穴Aの下から3m強上にある地下2階の支胴口(高窓)に出る。上にとるとBの主洞分岐の間に戻る。右にとると落盤の見られるGの間に出る。Gの奥にある8mの煙突状の穴を登ったHの間に小規模の石幕や、石筍が見られる。Gの間を下に辿ると細い地下水流IJに達する。Jは渇水期で淀んでいてダム湖の水位で連動する。つまり本洞下層部はダム貯水面と同水位になっていて、豊水時にはCまで水没していたこともある |
ひみせ洞清掃保存会
ひみせ洞清掃保存会の活動
平成22年10月に初入洞した時はコウモリと分岐の多い危ない穴の印象だったが、28年頃に再入洞したら、洞口下のロビーはゴミの山になって酷い状況だった。以降赴くことはなかったのですが・・・令和3年に地元で古民家民宿を営むYさんと出会い、Y氏も以前よりその状況を憂いていて意気投合して希少価値の高い那賀町の自然遺産の日店洞窟を元の環境に戻す為、清掃会を立ち上げで活動しました。 |
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目 的 |
那賀町の希少な自然遺産の日店洞の内部と周辺道路の投棄ゴミの清掃して環境の美化をはかる。 |
活 動 |
・洞内外に投棄されたゴミの回収、清掃、除草等清掃活動、
・不法投棄をなくすための看板の設置など行う。
・洞内の平面図の検証調査して危険個所や、落盤、風化等の状況を調査する。 |
設 立 |
令和4年10月1日から ●事務局 花瀬庵(那賀町花瀬)吉岡 |
活動記録
実施日 |
内 容 |
参加者 |
実施日 |
内 容 |
参加者 |
R4.9.14 |
10.3 洞内外下見 |
2 |
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9.28 |
清掃・案内下見T |
2 |
R5 6.4 |
道路ゴミ清掃・洞窟潜入沢登り |
6名 |
10.3 |
県職員研修〜洞窟清掃 |
9 |
6.25 |
井戸下調査、徳ヶ谷沢登り |
3 |
10.9 |
ルート調査〜井戸下 |
3 |
7. 1 |
道路清掃、看板設置コース下見 |
7 |
11.19 |
Aクライム支点構築 |
2 |
8. 7 |
洞窟案内 Y,T |
4 |
12.10 |
洞内清掃、B2、B3調査 |
5 |
9,8〜10 |
日本洞窟学会大会研修 |
1 |
R5.1.19 |
法務局-地権者調査 |
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9.20 |
清掃準備、案内下見 |
1 |
1.27 |
那賀相生支所-区画,地権者調査 |
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10,3 |
県職員研修〜清掃、潜入体験 |
12 |
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那賀支所ゴミ回収相談 |
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10,20 |
阿南法務局 地権者調査 |
1
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1.28 |
吉田氏宅訪問〜顧問打診 |
1 |
11.16 |
ルート下見 |
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3.2 |
コース設定調査 |
1 |
12.9〜,10 |
大阪大学探検部研修案内 |
1 |
3.25 |
道路ダム湖ゴミ回収、洞窟潜入 |
7 |
12.16, 17 |
第1回総会 ・下層ゴミ回収 |
8 |
3.27 |
上那賀支所より回収協力、 ゴミ袋、看板を提供 |
1 |
R6. 4.6〜 4.7 |
大阪大学探検部研修案内 |
7
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令和6年5月より日店洞への入洞は禁止になりました。
会員各位と那賀町上那賀支所の回収その他のご支援を頂き、1年半で見違えるほど自然な環境に戻りましたが、令和6年5月より地権者の要望により入洞は禁止になりました。まだ低層部にゴミが残っていたことと、洞内の危険箇所の状況と平面図の再編作成の調査は断念することになり、残念ながら活動の終止となりました。
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